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【第800回】必要な物事を「数値化」していく
突然ですがあなたは年間どれくらいの所得が必要ですか?「とにかく常に新しいモノに囲まれていないと精神的健康が維持できない」と言う人は年収¥1,000万でも足りないかもしれませんね。「基本家にいて好きな漫画を見ているのが一番幸せ」と言う人は¥400万くらの年収で十分かもしれませんね。仮に使わないのであれば道具もお金も「なくてもいい」のです。年収400万で十分幸せに生きられる人に年収¥3,000万は必要ないのです。だって¥3,000万分働かなくてはいけないのですから。逆に年収¥1,000万必要な人が年間¥400万分しか働いていないと破産します。わたしはよく「お金の燃費が良い人」「お金の燃費が悪い人」と言うのですが、お付き合いが始まったばかりのクライアント様と最初のミーティングで方向性の確認をする際に「年商、年収はいくら必要ですか?」とお尋ねします。そしてその後に「本当にその金額で良いのですか?」とお伺いします。するとみなさん「…。」となります。そう、みなさん「なんとなくの数字」「なんとなくの幸せ論」「なんとなくのこうあるべき」に振り回されているのです。改めて「今の自分」に対しての必要なモノ、コトを洗い出し、それに必要なお金と時間を明確にして人生計画を立ててみてもいいんじゃない?
【第797回】南海トラフがきっかけで
「南海トラフ地震は必ずくる」という言葉を何年も前から何回も聞いていて、「来るんだろうなぁ」と分かっているものの先日の「巨大地震注意」が政府から発信されてそこで初めて「自分ごと」として考えた方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか?我が家でもそうで、改めて「ベッドの下に靴を置いておこう」「地震が発生した際はどうすればいいか?」ということや「もしお父さんに何かあったらこんな保険に入っていて、貯金はこれくらいあって、頼れる人はこの人がいて…」ということを話し合う機会になりました。妻とも話あって「もし有事が起きる前にやっておけばよかったと思いそうなことはあるか?」という話になり、お互いが「なんもない」という何とも欲の無い会話の中で、自分たちがいかに日々恵まれた環境にあるのかも実感させていただきました。その中でも妻や子供たちに感謝の言葉と、どれだけ愛しているか、どれだけ愛していきたいかも伝える機会になり、これはこれで贅沢だなと思いました。人間いつ死ぬか分かりません。今日事故で死ぬかもしれないし、突発的な病気で死ぬかもしれない、事件に巻き込まれて死ぬかもしれない、「一日一日を大切に生きる」ということの大切さはみんな分かっているつもりでも、「自分だけは大丈夫」という根拠のない自信にどうしても「丁寧さ」が薄くなりがちです。「これが最期」と思っていろんなことに携わっていくと、心の位置が変わってくるものです。いつか来る「死」に対して、少しでもみなさんが「後悔ない人生」を送れますように。
【第796回】慣れない人と食べる豪華な食事より家族と食べるうまい棒
先日社内研修の依頼をいただき、遠方と言うこともあり宿から食事までをお客様にご用意いただき至れり尽くせりだったのですが、先方は社長をはじめ幹部社員も全員集合でわたしの身に釣り合わない豪華なお食事をご馳走いただいたのですが、場の雰囲気、人見知り、緊張で大袈裟ではなく本当に料理の味が分からなく、むしろ疲れ、加齢で若干胸焼けする始末。家に帰ったときちょうど子供がうまい棒を食べていて「お父さんも食べる?」と言われ一口食べたら「あれ!?うまい棒ってこんなにうまかったっけ??」と感じるほど超絶美味しく、私がノーベル賞の審査員であればうまい棒をつくる株式会社やおきんにノーベル平和賞をお渡ししたい、スタンディングオベーションで褒め称えたいと思えるほどでした。やはりわたしの口は「安いもの」の方が「旨い」と感じるのかもしれません。今後もしお食事の手配をしていただけるのであれば、サイゼリヤや餃子の王将で本当にわたし幸せですし、なんならマックスバリュでミミガーとか買ってチビチビ呑んでるだけで最高にご機嫌なのでわたしにあまり気とお金を遣わないでくださいね。そう考えると今お付き合いしているクライアント様は「一緒にマシュマロとか焼いて食べたい人」ばかりなので本当にお付き合い出来ていて幸せです。あなたは普段お付き合いしている人は「ありのままの自分をさらけ出せる人」「ありのままを受け入れられる相手」ですか?
【第795回】これ以上の幸せはあるのだろうか?
先日家で事務処理+各クライアント様の資料を作成していて、思った以上に早く目途が付いたタイミングで長男が中学校の部活から帰ってきて、夏休みで家にいる次男と妻と「お昼を食べに行こう」となり近くのランチをやっている焼肉屋さんに行き、その後「銭湯行きたくない?」となり家から一番近いスーパー銭湯に行き、お昼からお風呂に浸かっているといきなり大雨に打たれて、全裸でlike a ショーシャンクの空を楽しみ、次男が「毎日大雨だったらこれをシャワーにしたらいいんじゃない!?」とホームをレスした人でも言わないようなギリギリの発言をかまし、お風呂から出ても備え付けの漫画コーナーでゴロゴロしながら漫画を読んでいるとき「これ以上の幸せがあるのだろうか」と一人ジーンとしていました。学生の頃、友人が「らーめんの海苔より旨いものってこの世にないよな~!」と言っているのを聞いて、「こいつ何言ってるんだろう?」と思っていたのですが、幸せに大きいも小さいもないんですね。わたしが家族4人で「最高に幸せ」と感じるために使った費用はランチ代+銭湯代しめて¥5,200(税込)。久しぶりに贅沢をさせていただきました。有難うございます。
【第793回】40代をどう生きるか?
私事ではありますが、明日8月9日40歳になります。20代前半のころ、カート・コバーン、ジミ・ヘンドリックス、尾崎豊などの「偉大なミュージシャンは27歳に死ぬ」ということを知り、「自分も27歳で死ぬんだろうなぁ」と大して音楽もやっていないにも関わらず心のどこかで本気で思っていた自分がもう40歳です。立派な中年です。子供のころは「40歳」と聞くとお腹が出て恰幅の良いオールバックのおっちゃんをイメージしていたのですが、20代30代のころと比べると些か太ったもののまさか自分が40歳になるころに10代のころ買ったnirvanaのバンドTシャツをいまだに着てスキニーパンツを履いているとは思ってもみませんでした。20代は本当にガムシャラに仕事を覚え、30代でテクニックを覚え営業としての道が確立出来て、その知識やスキルを活用して起業して今に至るのですが、わたしの思う「40代」は「人(特に若い人)のフォローをしていく立ち位置」なのかな?と思います。わたしは上司や先輩にとても恵まれていて、わたしの周りにいた「40代」の上司や先輩は「後輩の踏み台になってあげる、それもコソッと」という何とも粋な方ばかりでした。そんな上司や先輩に育ててもらった自分だからこそ、このバトンを次の代に渡せるよう「粋な大人」を目指していこうと思っています。いつまでも「ワーイ!唐揚げ大好き~!!!」とはしゃいでいる場合はないのです。土瓶蒸しなんかをちびちび嗜み「…うむ」とか独特の間で言っちゃって「これは美味しいから君も食べてみなさい」とか言って魚辺になんか書いてあってなんて読むか分からないものをサラッと頼むようなジェントルマンな大人になりたい。ただ、基本夜呑みに行きたくないのでせいぜい「カップヌードルって2分半でもうまいよ?」とか言ってドヤ顔する自分から卒業したい!というようなことを「50代をどう生きるか?」と言うときに同じようなことを考えているのでしょうね。とにかく40代でも「世の為、人様の為、自分自身のお役に立つ人材でありたい」という基本スタンスは変えずに、限られたこの命をとことん全力で愉しみたいと思っております。