BENchmarkブログ
【第973回】正しくありたいor正しいと思う
「正しさ」というのはとても曖昧で、10年前までは正しかったことが今の時代は完全にアウトだったりすることはよくあることです。ただ、「正しくあろう」という意識や姿勢は大切で、常に「正しくあろう」と思う人の立ち振る舞いはやはり見ていて美しさすら感じることがあるのですが、厄介なのは「自分が正しい」と思っている人の立ち振る舞いです。いかんせん自分が正しいと思い込んでいるから「周りに目を向ける意識」が欠落している、それも悪意がないのでタチが悪いのです。また、「自分が正しい!」と思い込んでいる人は他の人から見ても「あ~、この人は自分が正しいと思ってるなぁ」と思わせるので「どうせ言っても分からないだろうし、言ったところで面倒そうだから言わずにスルー」となってしまうので、益々悪い状況で孤立してしまいます。あなたは「自分が正しい」と思っていますか?自分が正しいかどうかは分からないけれど「正しくありたい」と思っていますか?前者であればアイタタタ、後者であれば伸びしろ無限大じゃない?
【第971回】数値化できない豊かさがある
世の中は「数字」に溢れています。わたしも「数字の奴隷」と言っても過言ではないほど、「時間」「データ」「売上」などなどすべてにおいて「数値化」して数字と大の仲良しなのですが、世の中は「数値化できない豊かさ」があります。家族とお互いの一日のことを振り返って話す時間の満たされた想い、希望に胸を躍らせ自身の持つ無限の可能性にワクワクしている気持ち、心地よい風に吹かれて時間も気にせず何も考えずに散歩するときの贅沢感。経営や営業といった「数字を扱う仕事」をしていると、ついつい物事を数値化するのが癖になってしまいますが、「幸せ」は数値化できないことがあることを分かっておかないとハマってしまいます。「こんなに稼いでいるのに家族は自分のことを大切にしてくれない!」→「それって仕事に夢中になりすぎてあなたが家族を大切にする時間が減っているのでは?」や「売り上げは前年に比べて2倍になったけれど家族の時間は前年の半分になってしまった」など、成果を出している人あるあるかと思います。我々は「良い数字」を出すために生まれてきたのではなく「幸せになるために生まれてきた」のだと思います。数字はあくまで物事を図る指標なだけで「すべて」ではないのです。ときには数字を横に置いておいて、Don't think,feelじゃない?
【第959回】7月5日人類滅亡説
UFOや幽霊といったオカルト大好き両親に育てられたわたしはもれなく「都市伝説」大好きっ子です。なのでわたしのYouTubeはわたしの趣味趣向を理解しているのか「破壊的ロック」か「都市伝説」ばかり流してきます。そんな中この2~3年前からしきりに出てくる「7月5日人類滅亡説」。ここでお断りしておくことは「都市伝説が好き」ということと、「都市伝説を信じている」ということは別のこと。7月5日もガッツリ仕事を入れています。仮に本当に都市伝説通りのことが起こったとしたら「ほぇ~、人類の最後ってこんななんだぁ。良いもの見れた、ラッキー♬」ですし、起こらなかったら起こらなかったで「今日も一日頑張ったなぁ。ナイス自分+自分を取り巻く環境!」と思えるし。結論「いつどう転んでも一切の悔いなし!」なのです。そう思えるのは「いつもやり切っているから」。朝から晩まで右脳左脳をフル回転で、世のため人の為に働いて、夜は泥のように眠る。これこそが人生の「学び」であり「充実」であることを知れた今回の人生は非常に学び多き人生です。ラッキー!もし「まだやり残したことがある!」というのであれば、とことんやり尽くしておいた方がいいんじゃない?
【第949回】最初に厳しい環境を選んでおく
「若いときの苦労は買ってでもしろ」とは良く言ったもので、苦労をすればするほど、それを乗り越えれば乗り越えるほど人間としての厚みがどんどん増していきます。本能的にそう思ったからか、わたしも就活の際に、当時愛知万博のお陰もあって東海エリアは比較的内定がもらいやすい市場で、そこまで数多くの企業に面接に行かなくても内定はもらえたのですが、その中でもゼミの先生や先輩、友人から「あそこはブラックだからやめとけ」と言われた不動産会社への就職を決めました。営業+体育会の会社+ブラック、当時もインターネットの掲示板等でその会社がどれだけ厳しいか、辞める人はみんなうつ病になって退職していく人がほとんどであるという情報も見た上で「若いうちに苦労しておきたい」というMっ気だけで入社し、その後まんまと後悔するのですが、今思えばあの時の苦労の日々が今の自分を作ってくれたのだなと思うと大切な経験だったと思います。わたしが今お付き合いさせていただいている方も、成果を出している人になればなるほど昔かなり厳しい状況に置かれていた人、でもその状況でも諦めず、腐らず、誰かのせいにもせずしっかりと真摯に向き合い乗り越えて来られた方ばかりです。逆に「あの経験があったから、今どんなことがあってもあれよりはマシと思える」と仰る方ばかりです。年を重ねるごとに体力も気力も落ちてくるもの。穏やかで健やかで豊かな暮らしをするためにも若いときはしっかり苦労しておくと、それは人生に置いての「肥やし」になるんじゃない?
【第947回】知らないから怖いだけ
「怖い」と思う原因の一つとして「知らない」ということが理由の一つになるかと思います。例えば「お化け」。夜中に目が覚めて、ふと足元を見ると人影が…。恨めしい顔でじ~っと立っている姿を見てあなたは「ギャー」と飛び起きて逃げ出すでしょう。ただ、この足元に立っているのが先に亡くなった家族や友人、恩人だったら?最初こそ「ギャー」となるかもしれませんが、知った相手と気付いたとたん「ど、ど、ど、どうした?」となるかと思います。場合によっては「会いに来てくれたの~!嬉しい~!!」となるかもしれません。転職や起業もそうです。わたしも起業してから6年。周りの人から「起業して凄いですねぇ!」と言っていただく機会もあるし、6年前のわたしも起業した人に対して同じように言っていましたが、いざ自分が起業してみて思うことは「あれ?こんなもん?」という気持ちです。「開業届って2分くらいで手続き終わるんだ」「税金って自分がめちゃくちゃ計算して算出するんじゃなくて勝手に国や県や税務署から納税書が届くんだ」「決算書と睨めっこして銀行と商談をし、朝昼晩と問わずにたくさんの人と会って人脈を広げて…なんて思っていたけど、銀行の借入がないのでそもそも商談がない、顧問先とは打合せするものの異業種交流会など出たことない、基本人脈を広げない」など、実際やってみたら「あれ?こんなもん?」ということは多々あります。人生に大切なことは「大きな勇気」ではなくて、最初の一歩を踏み出すだけの小さな勇気だけで十分なんじゃない?
