BENchmarkブログ
【第935回】SNS上でどれだけバスっても成果に繋がらないと意味なし
昔は「野立て看板」や「新聞折込チラシ」が広報における有力な方法とされていて、その後フリーペーパーやらポスティングやら形を変えて紙媒体は活用されてきたものの、今ではホームページやSNSが主流になってきてどんどん広報のやり方も進化しているのですが、ホームページやSNSは「数値化されやすい」ことから更に活用の幅を広げています。チラシと違って、どれだけの人に見られているのか?どのエリアで何時に見られているのか?男性・女性の比率はどうか?そのうち興味を示してくれている人はどれだけいるのか?など分析しやすいのですが、表面的な数字だけを見て活用している人も多くいます。ほとんどの人がそうかもしれません。「何人に見られた」「何人にいいねしてもらえた」だけを見て広報をしていると要注意です。SNS上でどれだけバズっても成果に繋がらなければ全く意味がありません。SNS上で「1万人に見てもらえたんです!」と言われても「その1万人はどのエリアの人で、年齢層はいくつの人で、男性・女性どちらが多くて、あなたのターゲットとしている人はどれだけ見てくれていますか?」とお伺いすると大体の人が「きょとん」です。「集客」と「集人」は違うのです。とある企業の方から「とにかくなんでもいいので人を集めたい」と相談された際にわたしがお伝えしたのは「じゃあ卵でも無料で配れば?」です。ただその後続けてお伝えしたことは「でもそんなことやっても物乞いだけ集まって肝心の商売には繋がらないのでお金を無駄づかいするだけでしょうけどね」ということです。結果「どうしたら「お客様になり得る人」が集まってくれるのか?」を真剣に考えてくれるきっかけになりました。SNSは麻薬のようなもので、自己顕示欲や承認欲求が短期的かつ表面的には満たされるかもしれませんが、内容は激薄です。よく「わたしは海外で100万人のフォロワーを有するインフルエンサーです」と言って自身のアカウントをドヤる人がTVに出ていますが、大体の人からすると「お前誰?」なのです。わたしもSNSマーケティング戦略の実験のために1年だけインスタアカウントを立上げ運用したことがあります。わずか半年で6千人を超えるフォロワーを獲得しましたが、わたしのことを本当に知っている人、興味を持っている人はそのうちの何人いるのか?実際に会って話した人はそのうちの何人いるのか?と問われればほぼほぼ0です。今のマーケティング戦略でSNSは必要不可欠かもしれませんが、それに踊らされてしまっては人生がもったいない。どこの誰かも分からないフォロワーより、目の前の人の笑顔を一つでも増やすほうがよっぽど価値があるんじゃない?
【第934回】右の頬を打たれたら、すぐさま110番
こどもたちへ
生きていく上で「素直さ」や「従順さ」は大切です。ただ、全てにおいて素直であり従順である必要はありません。「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」という言葉があります。これはキリスト教において暴力や屈辱に対する無抵、無暴力主義を表す言葉とのことですが、お父さんは「右の頬を打たれたらすぐさま110番」だと思います。もしくは「右の頬を打たれたら「出るとこ出ますよ?」とちゃんと伝えよ?」だと思います。嫌なことは「嫌!」、迷惑なことは「迷惑!」、ヤバい奴はすぐさまお巡りさんにおまかせする。相手が先生だろうとう先輩だろうと、偉い人だろうと場合によってはお父さんやお母さんに対しても「自分の意思をちゃんと伝える」って結構大事なことです。なんでも「いいよ」と言ったり我慢することは「優しさ」ではありません。自分を優しくしてこその人への優しさです。右の頬を打たれたらすぐさま110番。脅されたら脅迫罪、金銭を求められたら恐喝罪、暴力を振るわれたら暴行罪という立派な犯罪ですので、しっかりしかるべき対処をしかるべき機関にやってもらいましょう。もちろん人様の頬は叩いたらあかんで?
【第933回】仕事をしているのか?仕事をした気になっているのか?
地球に生まれて生きる人のすべてが1年365日、一日24時間という条件で生きています。その中で成果を出す人、出せない人の大きな違いの一つとして「時間の使い方」があるかと思います。例えばA君とB君がいるとします。A君は真面目で一日12時間働きます。B君は一日8時間しか働きません。A君は12時間中10時間移動に時間を使っています。B君は8時間のうち6時間が「お客様との商談の時間」に使います。さて、どちらが成果がでやすいでしょう?わたしが顧問契約をする上で、まず手始めに「無理・無駄」の洗い出しを行っていきます。一日どれだけの時間働いているのか?その内訳はどのように時間を使っているのか?成果が出ていない会社になればなるほど「移動時間」「社内会議」「無駄な付き合い」に時間を使いがちです。逆に成果が出ている会社や人は「仕事の時間」に一日のほとんどを費やしています。手前味噌ながらわたしも一日のほとんどを「クライアント様とのミーティングの時間」としています。移動中もBluetoothでハンズフリーで各クライアント様と電話をしています。おそらく通所の人の3倍速で動いています。そして休みもほぼほぼありません。人の2倍以上働いていると思います。だからこそ、うんと高額な所得を得ています。移動時間は疲れます。だからこそ「仕事をした気」になってしまいます。営業は厳しい仕事です。だからと言って「話しやすいけれど買ってくれない人」に時間を費やしていると「仕事をした気」になって成果には繋がりません。今の自分の動きは仕事なのか?労力をかけて仕事をした気になっているだけなのか?その答えは自分が一番わかっているんじゃない?
【第932回】痴呆の症状
わたしも今年41歳になる年。年々自分自身も年を重ねるし、当たり前ですが自分の周りも年を重ねていきます。中には「親が痴呆になって…。」とお話しされる方もいらっしゃいます。親はもちろんですが、自分自身いつ痴呆になるかわかりません。家族としては「認めたくない」「変わっていくのが悲しい」「なぜこうなってしまったのか辛い」という状況かと思いますが、先日とある方がこんな話しをしていらっしゃいました。「痴呆は本人が元気なときに「出来なかったこと」が表面化される」とのこと。食べ物に苦労された方は痴呆になるとなんでも口に入れてしまう。暴言を吐いてしまう方は「言葉に発することを我慢していた人」。徘徊してしまう方は、元気だったころ「動きが制限されていた人」。とのことでした。そう考えると痴呆になったときでも「あぁ、自由になれたんだな」「我慢していたことを吐き出せているんだな」と考えると、キツイ中でも少し優しくなれる気がするのはわたしだけでしょうか?今は薬で随分と症状が軽くなるとか。早期発見・早期対策をして自分自身も周りにも負担を少なくできるといいですね。わたしは本当に日々忙しくしているので、仕事がひと段落したら痴呆になる可能性大なので、周りの負担にならないよう今から気を付けていこうと思っています。もしわたしがボケだしたら「ボケてる!ボケてる!!」とお伝えくださいね、それも優しさじゃない?Not気遣い!
【第931回】ときには与えないことも与えること
すべてにおいて「これあげる」「これもやってあげる」としていたら、相手は成長の機会を失い結果不幸になってしまうケースもあります。大切な相手だから「与えない」「与え過ぎない」ということも大切かと思います。わたしも起業したてのときはクライアント様から「これ教えて」「これが分からない」というお声がけをいただいた際に「ほぃさっさー!」と対応していたのですが、あるとき「あれ?これこの人もう何回も同じ話し聞いてきてない?成長できてないじゃん!その理由は俺じゃん!?」と想い、心を鬼にして「メモりや」「ちゃんと覚えや」「次は教えません」とお伝えさせていただいたところ、やはりしっかり身に付くのです。だからこそ最近は相手にもよりますが、すぐさま手を差し伸べるのではなく「ググりや」「一回自分で調べた上でどうしても分からない場合に頼りや」とお伝えしております。これがわたしなりの「愛情」です。仕事がら、お客様にずっと頼っていただいたほうが売上も安定するし、わたし自身も「頼られている」と安心に繋がるのですが、弊社の基本理念は「お客様のお役立ちに尽くす」です。それも「長期的に見て」です。今現在顧問をさせていただき、わたしがすぐ「答え」を与えない方、これがわたしなりの「愛情」と「信頼」です。まだわたしがすぐ答えを与える方、どんどん塩対応になっていきますのでご了承ください。その時は「この人なら大丈夫、きっとやれる」と思っているときです。そこを踏まえた上で「甘々モード」をご要望いただく方、とりあえず往復ビンタさせていただきます。そしてこうお伝えさせていただきます。「目を覚ませ!お前の可能性は無限だ!」あなたの可能性は無限です。顧問だからこそ、とことん成長の伸びしろを信じております。これが本当の「相手を思い遣る気持ち」ってやつじゃない?