BENchmarkブログ
【第463回】ちゃんと嫌われてます?
基本人は「人から嫌われたくない」というもの。
ただ、「全員から好かれる」ということは、実はとても大変なことなのです。正直私は「嫌われたい」です。細かく言えば「嫌な奴からはしっかり嫌われたい」ということです。
あなたの周りにも嫌な人、迷惑な人の一人や二人はいるのではないでしょうか?卑しい人、情報操作をする人、マウントを取ってくる人、意地悪な人、性格の悪い人は周りにいて当然です。そんな人に好かれてみてください。ゾッとしません?あなたが「あいつ本当に嫌な奴だわぁ」と思う人は、あなただけではなく、だいたい周りの人にも同じように意地悪をしているので、周りの人からも疎まれます。そんな人に「あいつは最高だ!」なんて言われたらどうです?超絶あなたのイメージが悪くなりません?
私もそうです。「こいつ人間じゃねぇな!」と思う人に「射場最高!」なんて言われた日には、私にとってはそれが一番の営業妨害です。だからしっかり嫌ってもらいたいのです。嫌な人とは付き合わなくていいんですから。付き合わないどころか、相手から嫌ってもらって、勝手に距離をとってもらったほうがよっぽど楽なんですから。
だから「嫌われたくない」と思って気を遣い過ぎる必要はないんです。きっとあなたのことを「大好き」と思ってくれる人もいるはずです。もし今現在そんな人はいない!というのであれば、せめてあなた自身があなたのことを好いてあげてもいいんじゃない?一番あなたのことを見ている人なんだから。
【第461回】自分の得にならないことでもやる
「損得」と言う言葉、正直私が苦手としている言葉です。なぜなら「損得考える時点で損」だと思っているからです。これは今までたくさんの方から損得無しで与えられてきたからこそ積み重なってきた考えかもしれません。
先日、とある方から教えていただきイエローハットの創業者であり現在相談役の鍵山秀三郎さんの書籍を読んでいると、こんなことが書いてありました。
「自分の得になることしかやらないと、心が卑しくなる。自分の得にならないことをやると、心が豊かになる。自分の得にならないことは、心の栄養になる」
おっしゃる通りで、ストンと胸に落ちました。そうなんです。自分の得になることしかやらない人は「卑しい人」になっちゃうんです。ただ、ここで大切なことは「損すること」ではなく、「得にならないこと」なのです。「損すること」をわざわざ自分から手を伸ばす必要はないのですが、「得しないから」と言って手を差し伸べないのは愚の骨頂だと思います。ただ、私はサラリーマン時代から極力「得にならない事」にも率先して取り組んでいました。理由としては当時の社長に「人様のお役に尽くしなさい」と言われたからです。売上云々は置いておいて、とにかく人様のお役立ちに尽くす。そうするとどうなるか?現在の株式会社BENchmarkクライアント様でも顧問契約を結ばせて頂いている会社は45社。そのほとんどは前職ではお付き合いがなかった方たちばかりです。では、なぜそんな人たちと出会えたか?それは前職時代損得を考えずに頑張っている姿を見て感謝してくれた人、応援してくれた人からの「口コミ」「紹介」なのです。自分が人様の為にやっていたことが、時間が経って自分が与えてきた以上になって還ってきてくれて今を支えてくれています。本当に有難いことに、還ってきてくれているのでこれが言えるのかもしれませんが、仮に還ってきてなくても私はとても感謝したはずです。なぜなら「心が綺麗になれたから」です。人の為に動く事はこんなに充実していることなんだ、人に喜んでもらえることはこんなに幸せな事なんだ、そう知れた事自体が感謝の対象です。
どれだけ頑張っても腕は二本で足も二本。助けられる人の数には限りがあるもの。だからこそ、目の前で困っている人がいたら、時には損得無しで助けていく。
これこそが「情けは人の為ならず」じゃない?
【第459回】年をとってから褒められるのはちょっと危険
みなさん最近褒められていますか?褒められたら気持ちいいですよね?でもですね、あまり年をとってから褒められて喜んでいるのはかなり「痛い」んですよ。
だって「褒められる側」と「褒める側」どっちが優れた人でしょう?「褒める側」の方が優れているんですからね。相手のいいところを見つけて、認めて、伝える。これが出来るのは「立派な大人」なんです。逆に相手を褒めることが出来ない人、いつまでも「褒めて欲しい」と強く求める人は「小さな子ども」と変わらないんです。
田舎のちょっと儲けてるかくらいの会社でたまに見かけることがあるのですが、全然大したことのない「井の中の蛙状態」にも関わらず、イエスマンばかり近くに置いて気持ちよくなっている経営者を未だに見ることがあります。その度に「サムい」と思って距離を取るのですが、こうなってしまったら致命的です。どんどん真綿で首を絞められるかの如く衰退していくのですから。イエスマンに良いように掌の上で転がされているにも関わらず、本人は良い気になって勘違いしているから転がされている状況を気付いていない、まさに裸の王様状態です。
また、最近の若い社員に多く見受けられるのですが「褒めて伸びるタイプですから」と自分で言っちゃう「幼稚さ」。「褒めの強要」と言ってもいいかもしれませんが、そもそも自分が努力して褒められることをすれば良いだけの話なのに相手に「褒め」を求めている時点で「ポンコツぶり」を露呈していることを気付けていない姿を見て呆れてしまう場面が多々ありますが、これも時代なんでしょうね。
本来ビジネスにおいて「対等な立場」であれば感謝やお礼はあっても「褒め」ってそんなにないもんなんですよね。もし褒められることを望んでいたり、褒められることで快感を感じているのであれば、早めに気付いて軌道修正しないと周りの大人たちから「ポンコツ」にされちゃうんじゃない?
【第458回】努力の前には必ず「目標」がくる
「努力します」「頑張ります」と言う言葉はたくさん聞くのですが、努力の「前に」かならず必要なものがあります。それは「明確な目標」です。明確な目標もなく「努力する」ということは、地図が無いにも関わらずがむしゃらに全力疾走するようなもの。これでは間違いなく良い結果、良い成果を出すことはできません。まずは明確なゴール(目標)があってこその戦略、戦略あってこその戦術、戦術あってこその実行、ここまでやるのが「努力」です。ゴール設定はシンプルです。「いつまでに」「何を」「どれくらいやるか」のみなのです。営業マンであれば「月末に売上を¥〇〇達成する」になるでしょうし、例えばスポーツ選手でも「〇月の大会で優勝する」というのが目標、その為にいつまでに何をするか…というように「逆算」してあとは「やるのみ」なのです。
当然私も「目標」はあります。まずは17年後目標、そこから逆算して12年後目標、その為に日々クライアント様のエスコートランナーとして尽力しつつも、この経験が未来に活かせるよう準備をしています。これこそが「努力」です。
目標が明確になると、やるべきことが明確になって成果が出しやすくなることはもちろんですが、目標が明確になると何よりワクワクしてウキウキが止まりません。これこそが「希望」ってやつじゃない?
【第457回】親身になるとは
「親身」とは、肉親であるかのように細やかな心遣いをすることと辞書には記載されています。ただ、もっと言うと読んで字のごとく「親の身になって」ということなのかなと最近思うようになりました。親の身になるとはどういうことか?本当に子どもの為になるのかどうかを考えに考え抜いて与えていくことなんだろうなぁと思います。本当であれば「良いことばかり言う」「なんでもかんでも与える」方が子どもには嫌われずなついてくれるかもしれません。でも、そうなるとどうなるでしょうか?「どうしようもないポンコツ」の出来上がりです。
時には厳しく、時には恨まれても10年、20年後その人にとって「あの時あれを言ってもらって良かった」と思ってもらえることをするのが「親の役目」ではないでしょうか?
本当であれば「ずっと守ってやりたい」「ずっと一緒にいたい」「その子に降りかかる全ての不幸や悲しみをずっと排除してあげたい」と親なら思うのですが、いかんせん順当にいけば必ず自分の方が先に死にます。むしろ子どもには自分よりも長生きして欲しいもの。だからこそ、ずっと一緒に居られないからこそ、自分がいなくなった後にもその子が少しでも苦労しないように、少しでも豊かな人生を歩めるようにしていくのが親の務めだと思っています。
だからこそ、私は特にクライアント様には超絶厳しいことをお伝えしております。取引業者から「よいしょ」されて喜んでいる姿を見たら「調子に乗っていますね」、成果が出て来てちょっとでも油断していたら「良い感じに勘違いしてますね」、起業時の理念を忘れて利益重視に走ったら「結構つまんない大人になっちゃいましたね」と、生意気なことをガンガンお伝えしております。なぜなら本気で「愛しているから」です。「よいしょ」や「ごますり」はたくさんの人がやってくれます。ただ、私の役割はそこではないのです。「気持ちよくするため」に顧問料をお預かりしているのではないのです。
ただ、いつも生意気なことを好き勝手お伝えしているにも関わらず弊社を選んで、託して、ずっと一緒に伴走させてくださっているクライアント様には本当に心から信頼し、期待し、愛しています。きっと成果を出し続けますし、そうなるよう本気で尽力します。本気で相手のことを想っての「「親切な立ち振る舞い」は相手にも届くんじゃない?