BENchmarkブログ
【第532回】「楽」なのと「楽しい」のは違う
「楽(らく)」と「楽しい」は同じ感じでも意味が違います。一見「楽」と見ればポジティブに捉えられるかもしれませんが例えば「仕事で楽をする人」。一時話題になった「働かないおじさんたち」のように、朝会社に来て、特に何かをするわけではなくネットサーフィンをして定時に帰ってお給料をもらう。これは「楽」かもしれませんが楽しくはありません。一生懸命チャレンジしている人に対し後ろめたさもあるでしょうし、情熱を無くしてしまった自分に嫌気がたつことでしょう。そもそもそんな感情もないかもしれません。ただ、そうなってしまっては非常にもったいない人生です。ぬかるみに浸りながら、それでも希望と期待を持って右往左往しながら苦悩してそれでも前に進んでいく。それを「充実」と呼ぶのでしょう。人生は有限。今の一秒ごとにどんどん終わりに向かっていきます。人間誰しも年を重ねると頭も体も自由がきかなくなってきます。そうなったときにこそ「楽」が出来るように今をしっかり頑張る。それも楽しさを見出しながら限られた時間と機会をしっかり味わいながら突き進んでいく。そこまでやって「今回の人生はやりきった!」と言って素敵な笑顔でこの世を去れるんじゃない?
【第531回】バケツから水がこぼれるまで
私が思う最強の能力は「コツコツ頑張る力」です。デザイン性に優れている、コストパフォーマンスが優秀である、色々成功の要因としてはあるかとは思いますが、根底はこの「コツコツ頑張る力」が必須になってきます。生まれて初めてのチャレンジで一発成功!それもずっと継続的に!!なんてものはあり得ません。むしろ長く安定的に成果を出し続けている人や会社になればなるほど「コツコツ頑張る力」が秀でています。それはまるでバケツに水を貯める行為に似ているかもしれません。大抵の人はバケツから水が溢れる寸前もしくはもっと早くに諦めて水道の栓を止めてしまいます。ただ、バケツには必ず「許容量」があります。必ずどこかのタイミングで溢れ出るのです。成果が出ている人とそうでない人の差はほとんどありません。ほんのちょっとの差なのです。誰しもが成功も出来るし、気を抜けば成果を出すことが出来ない状態に追いやられます。ただ、どんな時でも大切なことは、常に冷静に、心をニュートラルな状態にして「コツコツ頑張る」。これがある人はどんな状況でも強いです。じゃあどうやってその力を身に着けるかって?それは日々のたゆまぬコツコツした努力じゃない?
【第528回】自分がやられて嫌なこと、自分がやっていて嫌なこと
小さいころ「自分がやられて嫌なことは人にしてはいけません」と親や先生から言われたり、言われているのを見た人はたくさんいらっしゃるのではないでしょうか?当然ながら「自分がやられて嫌なこと」は人にしてはいけません。ただ、それに加えて「自分がやっていて嫌なこと」も人にはしてはいけないのだと思います。自分が好きでもない商品を人に売ったり、自分が大してファンになれていない自社のことを他者へPRしたり。自分の心に嘘を付きながら物事を進めていっても、うまくはいきません。スキルやなんやで自分を騙して、結果人も騙して利益を得ることを「詐欺」と言います。我々は詐欺師になってはいけないのです。そうならないためにも「嫌なことを断ち切る勇気」は、豊かな人生を歩んでいくための大切なレシピかもしれません。ただ、食わず嫌いの好き嫌いはただのわがままになってしまうので、そうならないためにもたくさんの経験を積んでおいたほうがいいんじゃない?
【第515回】自慢話、アドヴァイス、昔話
聞かれてもいない自慢話、求められてもいないアドヴァイス、誰も必要としていない昔話。「三大有難迷惑」と「Mr.テキトー男」高田純次氏の名言です。私も年を重ねるにつれ、当然ながらどんどん年下の人と接する機会が多くなりました。そんな時この言葉を注意するようにしています。うっかりしていると、ついつい「求められてもいないアドヴァイス」をやってしまいそうになるときがあります。正直この「三大有難迷惑」をしてしまっている大人は結構います。そしてその姿は結構痛々しいものです。また、最近の若者は非常に優秀です。だって情報獲得ツールがたくさんありますからね。「自分だけが知っている」と思ってドヤ顔で講釈を垂れても「既に知っている」か、もしくは「より深く知っている」という場合も少なくありません。世の大人のみなさん、「カッコいい大人」を目指そうじゃないですか。私の場合、目指すは高田純次じゃない?
【第513回】効率を考えるのは圧倒的に数をこなしてから
効率、効率、効率、最近年のせいなのか、昔に比べ市場を取り巻く環境が物凄いスピードでサイクルしていると思うのは私だけでしょうか?私は普段クライアント様には「無理・無駄をなくしていこう」とは言うものの、自分自身は結構「無駄」が好きだったりします。それは、そこから学ぶことがあることを知っているからです。ある程度の効率を求めるためには、ある程度の無駄を体験しないことには効率を追求できないとさえ思っています。だからこそ、慣れてもいない状態、成果も出ていない状態で「効率」と言う人を見ると「いやいや、もっとがむしゃらに無駄を体験しやんかい!」と思ってしまいます。手を抜くためには圧倒的仕事量をこなさないと、力の抜き方もわかりません。仕事量をこなす前に手を抜くのは、ただの「怠慢」であり「手抜き」です。効率を求めるなら無駄を知る、無駄から学ぶことによって効率を知る、これってなかなか深くない?