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【第254回】自分と違う人生をリスペクトする
ベンチマーク代表射場(いば)です。
世の中には色々と「マウントを取りたがる人」というものが一定数います。
その一つとして、「タメ口を利く人」がいます。
こうした人は一見力が強そうに見えるのですが、人としての中身はスッカラカン
なので、あまり相手にしなくていいと思っています。
最低なのは「相手が年下とわかった瞬間タメ口になる人」です。
基本私は年上はもちろん、同じ年の方にも年下の方にも仕事中は基本敬語です。
敬語とは読んで字のごとく「相手を敬う言葉遣い」なのです。
先日私事ではありますが、「新しいことに挑戦しよう」と電子ピアノを購入し
今もっぱらピアノの練習に励んでおります。
すると、私の小学生の子供たちがいきなり鍵盤をスラスラ弾き出すのです。
驚いて「いつ弾けるようになったの?」と尋ねたところ「幼稚園で習った」と言うのです。
子供だと思っていた我が子も、当然ながら私と違う時間軸、私と違う人生を歩んでいるのです。
「人生ピアノ部門」でいくと、明らかに私より子供たちの方が先に行っているのです。
自分より年下の人でも、当然ながらその人は「自分と違う人生」を歩んできた歴史と実績があります。
だからこそ、相手と相手の今まで歩んできた道に敬意を払いお付き合いする。その一つが「敬語」なのです。
中には「敬語の遣い方がわからない人」もいます。
ただ、どちらにしてもビジネスで携わる場合はお互いが相手を信じ、敬意を持って
接していかないことには良い仕事は出来ません。
どうせ付き合うのならば、圧倒的ジェントルマンとお付き合いしていったほうが
自分もジェントルマンになれてカッコ良くない?
【第253回】仕事を言い訳にするな
ベンチマーク代表射場(いば)です。
先日お会いした営業マンで、とても嫌な顧客との愚痴を相談された際に
「そんなに嫌な人であれば取引しなければいいじゃないですか?」と
お伝えさせて頂いた際に
「でも仕事ですから…」となんとも寒い回答を頂きました。
仕事ですから?
違うだろうぅ?お前が「断ち切る勇気」を持っていないからだろぅ?
売上を断ち切る勇気、相手からの評価を気にする心を断ち切る勇気、
相手との関係を断ち切る勇気、そして何よりも新規をするという覚悟を決められない
ショボイ自分を断ち切る勇気が欠落しているから、そんな言葉が出るんだろぅ?
そもそも、そういった自分の弱い部分をさらけ出す勇気を持っていないから
「仕事ですから」といった言葉で逃げるんだろぅ?
言い訳するのは簡単、自分と向き合って自分の弱いところを見るのは誰だって
大変。でもだからこそ、そこを認めて自分の無限の可能性とまだ見ぬ未来に
希望をもって胸をときめかすことが「明るい未来」を掴み取るための第一歩じゃないのでしょうか。
言い訳してたって「明るい未来」に誰かが連れていってはくれないぜ?
覚悟を決めて自分で掴み取りに行ってもいいんじゃない?
【第252回】明日行ってもいいですか?
ベンチマーク代表射場(いば)です。
なかなか成果が上がらない人あるあるの一つとして
「明日行ってもいいですか?」と言う言葉を遣われる方は
あまり成果が上がりません。
何故なら、この「明日行ってもいいですか?」と言う言葉には
相手への気遣いも敬意もなければ、自分の無能さも自分で暴露しているからです。
相手への気遣い、敬意が無い理由としては
「相手は明日ヒマしていると思っている」
「相手の都合より自分の都合を中心に物事を考えている」
といったことと、自分の無能さを暴露している理由としては
「アポが入っていない」ということです。
成果が出ている人とそうでない人の違いは、予定帳を見ると
一目で分かります。
成果が出ている人の予定帳はスケジュールがギッチギチに組まれています。
それは、「人に求められているから」です。
人に求められる→期待に応えられている→更に必要とされる→更に忙しくなる→気付けば成果に嫌でも繋がっている
といった感じです。
逆に成果の出ていない人の予定帳は空きスケジュールが目立ちます。
なぜなら「必要とされていないから」です。
人に求められる→期待に応えられない→必要とされない→暇を持て余して自身の都合で会いに行こうとする→より嫌われる
→より成果が出ない→どんどん暇になる
と言った悪循環に陥ります。
私自身サラリーマン時代から今に至るまで、最低でも1か月先までアポがギッチギチです。
とっさの対応の為に若干の「空き」は意識して作るようにしていますが、そうでもしないと
常に365日予定がギッチギチになってしまいます。
サラリーマン時代「アポが取れない」「予定帳の予定が埋まらない」という営業マンを
本気で軽蔑していました。
アポが取れないのは「人様のお役に立っていない」正確に言うと「人様のお役に立とうとしていない」からです。
時間は有限、時間はマネー、だからこそ、相手の時間が欲しいのであれば
まずはあなたが相手の役に立つことから考えてみてもいいんじゃない?
【第251回】部下と思わなくていい
ベンチマーク代表射場(いば)です。
先日とあるクライアント様のスタッフの方からこんな相談を受けました。
「部下が育たない」「部下がなかなかいう事をきかない」
部下を持つ経営者、管理職あるあるの悩みですが、この悩みは
そもそも相手を「部下」と思っているからこそ起こる悩みです。
「部下は自分のいう事を素直にきくべきだ」
「部下は自分より下の立場だ」
心のどこかにこの考えがあると「自分のいう事をきかせてやろう」と
いう気持ちになり、益々高圧的になり、相手もいう事をきかなくなるから
益々イライラするようになります。
サラリーマン時代私自身も部下を授けられた時
「上司として導いてやるんだ!」「上司たるもの~」の
ように鼻息荒く全力で誰が作ったかも分からない「理想の上司像」に
沿って後輩の指導をしていたのですが、ある時ふと正気に戻りまして
「そもそも不完全な自分が人様を導くといった考え自体がおこがましい」と
いうことに気付きました。
それからというもの、「上司でいさせてもらえているのは後輩たちのお陰」
「役職が付いて責任感のある仕事をさせてもらえているのは自分より年下の世代が入ってくれたお陰」
という当たり前のことに気付かせて頂き、そこからのマネージメントは非常に気軽な気持ちで
やらせてもらえました。
「部下」と思わなくていいんです。
福沢諭吉の学問のすすめ冒頭にもあるように
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言う言葉があるように
自分より下の人なんて一人もいないんです。
上や下ではなくて、「ステージが違うだけ」。
そう考えたら、部下に対してリスペクトする点も見えてくるんじゃない?
【第250回】100人に好かれるより…
ベンチマーク代表射場(いば)です。
人間誰しも人には好かれたいもの。
人に良く思われたい、悪口を言われたくない、そう思うのも人として生きている
立派な証拠です。
ただね、あまり他人の目を気にしてばかりだと心が疲れちゃうし、
何より自分を偽って手にしたご縁なんて簡単に手から離れていくものです。
だからこそ、我が家の家訓の一つとして
「100人に好かれるより100人を好きになれる人になろう」ということを
掲げています。
誰かの心はコントロール出来ないけれど、自分の心はコントロール出来るもの。
だからこそ、相手の良いところを見つけられる目と、相手の良いところを
素直に受け止めて認める心を大切にして、まずは自分から相手を好きになる。
たまに見間違うことが有ったり、予測が外れることもあるかもしれないけれど、
それでも「人様を好きでいよう」と思える自分自身もちょっとカッコいいんじゃない?