BENchmarkブログ
【第643回】来年もあるって保証はないんだぜ?
皆さん仕事においても人生においても「計画」は立てていらっしゃるでしょうか?短期計画、中期計画、長期計画。私自身も株式会社BENchmarkの短期、中期、長期計画は15年先まで立てているのですが、一つ注意していることは「不測の事態でいつ終わっても大丈夫な計画」にしています。仮に私が病気や事故で亡くなったら、家族の介護などで働けなくなったら、そんなときでも取引先に迷惑をかけず、残された家族が金銭的に苦労をしないように準備万端です。よく計画を立てる際に「それは来年から着手しようかな…」と、計画というよりはただの「後回し」にしたいだけの人とお話しする際にお伝えさせていただくことは「来年があったらいいですけどね」ということ。来年も五体満足でいれたらいいですけどね、来年も会社が存続していたらいいですけどね、来年も生きていられればいいですけどね。「後でやろうは馬鹿野郎」という言葉があるくらいで、馬鹿野郎とまでは言いませんが「明日もある」「来年もある」「10年後もある」と当たり前に思っていると、人生を無駄遣いしちゃいがちになりそうです。大切なことは明日あるのか、10年後があるのかはわからないけれど、「今」をしっかり丁寧に生きるということ。その積み重ねが未来の自分を作るのです。一日腕立て10回でも毎日やったら3650回。一日¥100課金したら¥36,500。それを10年続けたら¥365,000。未来があるかどうかは分からないけれど、少なくとも「今」を大切にすることが豊かな人生を作る第一歩なんじゃない?
【第636回】早すぎるぜ
2023年9月も本日で終わり。早い、早過ぎる。今年もあと3ヶ月。とか言いながらあっという間に「2023年もあっという間でした」という感じになるんでしょう。これほど早く感じるのは単純に年のせいなのか?毎日を慌ただしく生きているお陰なのか?私が今39歳。3年前起業当初は「仮に60歳まで働くとしたらあと24年もあるのかぁ」と思っていましたが、なんやかんやでこの仕事を今の水準でやれるのは大体53歳くらいまでかな、と考えているのでそうするとあと14年。短すぎる!あと14回しかベンチマークとしての秋はないのかと思うと、どれくらいのことができるのでしょう?どれくらいのことを残せるのでしょう?もしくはどれくらい残さずいけるのでしょう?時間の速さに改めて自分の残りの人生を考えさせられますね。私が55歳くらいの時に、とあるクライアント様がオーストラリアに支店を出す計画をしているので、その時は共同経営をするか取締役として任命いただいているのでその進路に進むのか?それとも妻と話していた55歳から毎年転職して色んな仕事を体験するを実行するのか?なんやかんやで気合と根性で体力面をカバーし今の仕事を今以上にしているのか?可能性が無限過ぎて生きていて楽し過ぎますね。何が楽しいかというと「選べる環境にある」ということが楽しくてしょうがないです。私が選択するだけでありとあらゆる道が開けるというのはとても贅沢な人生です。とりあえず明日は最寄のスーパーで卵が安く売っているらしいので買ってきます。これも立派な選択じゃない?みなさん9月もお疲れ様でした。良い10月を!
【第628回】お裾分けが出来るかどうか
昔に比べ今でこそその風習は少なくなってきましたが、8月はお中元を送ったりもらう季節ということもあり、わたしがミーティングでクライアント様をお伺いさせていただく際に、約8割のクライアント様から「これお中元にもらったもので悪いけど射場さんにもお裾分け」と言って自身がもらったお中元を分けてくださるクライアント様ばかりで、改めて「だからこの人たちは商売に困らないんだなぁ」と気付かせていただきました。本来人間は狩猟により食料を確保していた生物です。「明日は飯にありつけるのか?」「この獲物はいつまで採れつづけるんだろうか?」そういった不安を払拭するために農作を覚え、ただそれでも世の権力者は食料を大量に自分の手元に集め安心したいといった「保管したがる本能」があるのです。にも関わらず、人に与えることが出来る人というのは生物の本能を越えた存在です。お中元のお裾分けで何を大袈裟な、と言われるかもしれませんが、それだけ「モノを与える」ということは非常に高貴なことなのです。本能のままに自身の私腹を肥やしてきた権力者がどうなったか?国民に首を切られるのです。幸せはシェアするから長続きするもの。あなたも何かお裾分けしてみるのはいかがでしょう?
【第623回】人の役に立ちなさい
わたしは教師の父と専業主婦の母のもとに生まれ育てられたこともあり、小さいとき母に「人の役に立たなくてもいいから人に迷惑をかけないように生きていきなさい」と何度か言われたことがあります。「人の役にたつ」というのは、聞く人からすれば献身的、貢献、といったイメージがあるのかもしれませんが、商売をやっているわたしは自分の子供たちに「人の役に立ちなさい」という教育をしています。正確には「人の役に立つと、人から必要とされ愛され大切にしてもらえるので、結果あなたの人生がとても豊かになるので人の役に立つことによって自分の人生を豊かにしなさい」という教えです。ここまで嚙み砕かないと「人の役に立ちなさい」は「人のために生きなさい」というところで終わってしまうので勘違いが発生してしまいます。「自分の人生のために人の役に立つ」。わたし自身クライアント様に「役に立たないものは即リストラ、その中には当然わたしも入れてくださいね」とお伝えしています。基本コンサルタント会社は加盟金や契約期間途中の解約に関して違約金をお客様に求める会社がほとんどですが、株式会社BENchmarkの場合は一切それを求めていません。「成果が出ず役に立たなければ好きな時に辞めてね」というスタンスです。違約金という名目でお客様からお金をお預りすると、目先の利益だけを考えると楽かもしれませんが、それは相手を楽にする行為ではなく自分を楽にする行為です。これは人様のお役に立っていませんよね?有難いことに起業してもう少しで約4年。顧問契約を結んでくださっているクライアント様たちは卒業どころか有効期限の無い永久顧問契約をご所望されるクライアント様も全体の8割以上になっています。だからこそ、現在新規顧問の受付が2年先というこのご時世でとても有難い環境でお仕事をさせていただいております。ただ、永久顧問契約はとても嬉しいことで誇らしいことなのですが、弊社はこれをお受けしていません。なぜならこれも「クライアント様が解約しづらくなるから」です。起業する際決めたことは「人の役に立つことだけしよう」ということ。それで自身の生計が建てられないのであれば、それは役に立てていなかったというだけのこと。自分自身緊張感を持って仕事に携わるために決めたことですが、実はこの取り決めが今の株式会社BENchmarkを救ってくれています。自身の利益ではなく、純粋に「人の役に立つ」ことだけ考えて生きていけるって結構幸せじゃない?
【第621回】最期の仕事はなんだろう
生きとし生けるものすべてに最期があって、その最期はいつになるか誰もわからなくて、もしかしたらその最期は50年後かもしれないし、10年後かもしれないし、明日、ひょっとしたら1時間後かもしれないし、そうなったときふと思ったことは「自分の最期の仕事はなんだろう?」という疑問でした。誰と会うのが最期だろう、どんな提案をするのが最期だろう、どんな場所でミーティングするのが最期だろう、そう考えると大袈裟かもしれませんがこの一瞬一瞬がとても愛おしく思えてきました。本日ミーティングさせていただいたクライアント様、明日ミーティングさせていただくクライアント様、どのタイミングで最期になっても幸せな気持ちで終わるんだろうなぁと思える環境にあるのはとても幸せなことです。まだまだ行きたいところもある、体験したいこともある、でももし次が最期の瞬間でも「まぁいいか」と思えるのは冷めているだけなのか、執着がないからなのか。いずれにせよ気持ちは軽く生きていられることは私にとっては合っていて、今の人生がとても幸せです。明日死ぬと思って毎日を全力で生きていくというのは大変ですが、明日終わっても後悔がないように生きていくと考えると何を選ぶかと言うことが明確になっていくかもしれません。あなたは充実した毎日を過ごせていますか?