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【第617回】楽しさを見出してやる
スピリチュアル的な話になってしまうのですが、わたし個人としては「気持ち」や「想い」というのがとてつもないパワーを持っていると思っています。例えば弊社ではクライアント様のHPの運営やSNSの画像作成等もお手伝いさせていただいているのですが、例えばSNSの投稿画像を作成する際でも「楽しみながら作成しているとき」と「業務的に作っているとき」では、結果が明らかに違ってきます。こちらが制作時からワクワクしながら楽しみながら着手したものはとても高い確率で反響がでます。逆に時間に追われたり、特にわたしの場合は「この画像を使って作ってほしい」や「このコメントは絶対入れてほしい」という要望に対して業務として携わった場合は必ずと言っていいほど成果が出ません。先日もとある住宅会社のクライアント様先で、既存の事業で行き詰まっていらっしゃったので新しい商品、新しいブランドを立ち上げて世に出した結果、早速ギャンギャンに成果が出ているのです。確かにデザインやコンセプトは従来よりも明確にしたのですが、それ以上に気を付けたのは「ワクワク感」や「愛情」です。このプロジェクトに携わる者がわたし含め心から商品を愛している、コンセプトに自信を持っている、自分たちの持つ知識や技術をつかって世の中に貢献したいと思っている、「売れそう」よりも「楽しそう」を重視することによって面白いほど成果が出ている過程を見て、改めて「自分自身が楽しんでやる」ということが何より大切なのかなと実感しました。人生は有限。限りある時間で楽しいことしかしている時間はありません。「楽(らく)」をするのではありません。「楽しさを見出してやる」ということが大切なのだと思います。あなたは今の仕事に楽しさを見出せてたずさわれていますか?
【第615回】2025年人類滅亡説
父がUFOやら古代ミステリーやらが好きだった影響を受けて、私もゴリゴリの都市伝説好きなのですが、そんな私にYouTubeのAIがおすすめしてくるのは「都市伝説」「破壊的ROCK」のみという何とも偏った動画ばかりなのですが、そんな都市伝説のひとつで「2025年人類滅亡説」があります。「人類の3分の2が滅亡する」という説もあります。おぃおぃ、人類滅亡説どれだけ出てくんねんと思うのですが、私はあながちこの「2025年人類滅亡説」を若干信じている気がありまして、それは生物としての死というよりも「自分で考える能力を失うことによる人間としての死」と勝手に思っています。近年AIの成長は著しいものがあります。チャットGPTはもちろんですが、先程のYouTubeや、楽天やAmazonといったネットショッピングですらAIがその人の趣味・趣向・傾向を基にどんどんドンピシャの提案をしてきます。本人の気付いていない潜在的な欲望を刺激してくるので、自分で考えて、探して、選択するというプロセスから「知らず知らずのうちに選択させられている」という状況に変わっています。2025年、そうしたAIの成長によって「自分で考える能力を無くす人」が大量繁殖するのでしょうね。人間関係の悩み、人生の数多くの選択を全てスマホで調べて決めていく。一見自分で決めているように見えて、実は誘導されている。結果自分で考えて「想像するの能力」「生み出す能力」が死んでしまう。人類の3分の2がそうなって、最新機器等を持っていない発展途上国に住む3分の1の人類が生き残る。こんな未来が現実になるかもしれません。信じるか信じないかはあなた次第じゃない?
【第613回】アドバイスをする側の注意点
仕事柄アドバイスを求められることが他の人に比べると多いのですが、その際に注意していることがあります。それは「基本求めらたアドバイスしかしない」ということです。どうしてかというと、通常アドバイスをする側とされる側だと、どうしてもアドバイスをする側が「上からの立場」になってしまうもの。年寄りの「求められてもいないのにアドバイスしてくる」というのは、相手より優位に立ちたい、自分の力を誇示したいという潜在的な意識の表れです。これほど迷惑なものはありません。また、アドバイスを求められた側は「相手から必要とされている」という気持ちになり安心するもの。もしあなたの周りに「自称相談役」と言って色んな人の悩みを根ほり葉ほり聞いて勝手にアドバイスしてくる人がいたら、実はその人が自分自身の自己顕示欲や承認欲求を満たすための動きなのかもしれません。アドバイスを受ける側も「聞く姿勢」に注意しないといけませんが、それ以上にアドバイスを与える側は「上からではないか」「押しつけではないか」「誘導していないか」を本当に注意しないと、相手に失礼ですし、相手の人生に悪い影響を与えてしまう可能性もありますので細心の注意を払っていかなくてはいけません。お盆休みに帰省したり、仕事とは違う人と携わる場面も多いかと思います。もし周りに求めていないにも関わらず色々行ってくるアドバイスおじさん、アドバイスおばさんがいたら、時には真剣に相手をしなくてもいいんじゃない?
【第612回】コミュニケーションは傷付きながら学ぶもの
私はクライアント様とは別で一緒に仕事をさせていただいている人が何人かいます。その際意識していることは「わたしよりすごい人」という自分ルールを作っているのですが、その一人が弊社顧問税理士さん。同い年にも関わらずモヒカンで白眼鏡、でも税理士会の会長というよくわからない人なのですが非常に博識で何よりも人間力があり私にとってなくてはならない人です。定期的にミーティングして経営面でもアドヴァイスをいただくのですが「射場さんの場合100点以上だから何も問題ない」で終わるので世間話やら他愛もない会話をして終わることがほとんどなのですが、実は私はこの時間が非常に大切で彼から学ぶことが非常に多いのです。以前も、あれは確か最近の若いスタッフにどのように接していくか?みたいな話している中で「コミュニケーションは傷付きながら学ぶものだよね~」と言う話を彼がしました。「??」となっていると、最近税務署からの税務調査がクライアント様のところに入った際に、当然税理士である彼も調査に同席するのですが、その際最近の若い調査員は「メンタルが弱すぎる」とのことでした。従来の調査員は失礼なこともお構いなしにガンガン見て、聞いて、税を徴収しようときていたにも関わらず、最近の若い調査員に「お前その質問は失礼じゃない?」と言うと、プルプル震えてすぐ帰ってしまうとのことでした。今までであればそんな状態で税務署に帰ると上司から「徴収するまで帰ってくるな!」と言われていたところ、最近では役所もコンプライアンスが厳しくそれを言ってしまうとパワハラになってしまうとのこと。「税金徴収できませんでした」「しょうがないよね」で終わるとのことでした。これじゃあいつまで経ってもこの調査員は成長できません。駆け引きのテクニックも身につかずずっとポンコツです。こういった現象が今の日本の至る所で起きています。大人が嫌われることを恐れて、訴えられることに恐れて無難に対応する。最悪です。愛を持って叱ってやれよ、心を痛めて厳しくしてやれよ、その子の人生を考えてやれよです。コミュニケーションは傷付きながら学ぶもの。自身も若い時はたくさん失敗しました。調子に乗り過ぎて相手を傷付けてしまったり、怒らせてしまったり、それによって自身の立場を悪くして困ってしまったり。だからこそそこから反省して学ぶことによって立ち振る舞いを覚え円滑な人間関係を築け健やかで穏やかな人生を過ごせています。今回は弊社顧問税理士さんとのお話しですが、株式会社BENchmarkを支えてくれる協力業者様は最強です。無敵状態の人ばかりが集まって弊社を支えてくれていることに心から感謝しております。クライアント様も最高、協力業者様も最強、そりゃあ業績よくなるのは当然じゃない?
【第611回】振り返りの時間
今日からお盆休みと言う方もいらっしゃるのではないでしょうか?ご実家に帰省されたり、久しぶりにお友達と会われたり、旅行を楽しむ人もいらっしゃるかと思います。ただ5分、10分でも良いので去年のお盆から今年のお盆までの自分の歩みや今年のお盆から来年のお盆までに向けてのご自身の進路を考える「自分会議」の時間をつくってもいいかもしれません。私はG.Wやお盆、お正月といったまとまったお休みがある場合は必ずこれをやっているのですが、これがなかなか楽しくて3ヶ月前に計画したこと、半年前に計画したことがピタッと出来ていた時の達成感、思っていたよりも上手くいった際の優越感、全然成果が出ていない、むしろ着手すらしていないことを見て自分の身の丈を知れるゲンナリ感、全てが面白いのですが、改めて思うことは「人生は思ったようにしかなっていない」ということです。ということは「思ったもの勝ち」ということです。過去は変えられないし、未来もどうなるかわからない、ただ今現在思った通りに未来が進むのであれば?願望によって自分の人生の地図を明確にしていく作業をしていっても損はないんじゃない?