BENchmarkブログ
【第621回】最期の仕事はなんだろう
生きとし生けるものすべてに最期があって、その最期はいつになるか誰もわからなくて、もしかしたらその最期は50年後かもしれないし、10年後かもしれないし、明日、ひょっとしたら1時間後かもしれないし、そうなったときふと思ったことは「自分の最期の仕事はなんだろう?」という疑問でした。誰と会うのが最期だろう、どんな提案をするのが最期だろう、どんな場所でミーティングするのが最期だろう、そう考えると大袈裟かもしれませんがこの一瞬一瞬がとても愛おしく思えてきました。本日ミーティングさせていただいたクライアント様、明日ミーティングさせていただくクライアント様、どのタイミングで最期になっても幸せな気持ちで終わるんだろうなぁと思える環境にあるのはとても幸せなことです。まだまだ行きたいところもある、体験したいこともある、でももし次が最期の瞬間でも「まぁいいか」と思えるのは冷めているだけなのか、執着がないからなのか。いずれにせよ気持ちは軽く生きていられることは私にとっては合っていて、今の人生がとても幸せです。明日死ぬと思って毎日を全力で生きていくというのは大変ですが、明日終わっても後悔がないように生きていくと考えると何を選ぶかと言うことが明確になっていくかもしれません。あなたは充実した毎日を過ごせていますか?
【第618回】思い遣りをトレーニングする
人間の身体的能力に差はそこまでなく、結果に差が付くのは「意識の差」が大きく影響を与えます。「思い遣り」もそうです。100%良い人もいなければ、100%悪い人もいなくて、その時の感情や体調、場面によってバランスが変わってくるものかと思いますが、「優しさ」や「悪意の調整」にもトレーニングが必要かと思っています。特に営業マンをはじめとした「コミュニケーションが必要な職業」に関しては、ここを意識しないといけません。普段から人様に親切にしよう、親切な人間でありたいと意識するのとしないのとでは、日々の立ち振る舞いが全く違ってきます。「あ~こんなとこにゴミが落ちてるなぁ、誰かが見たら嫌な気持ちになるだろうなぁ、よし片付けておこう」「同僚忙しそうだなぁ。よっしゃ、「何かお手伝い出来ますか?」の一言を言ってみよう」などなど、これらの思い遣りの積み重ねが人格を形成し自身を取り巻く環境を穏やかで健やかな毎日にしてくれるのだと思います。ちなみに私はどうかって?今朝も麦茶を一口分だけ残して補充していない我が子にブチ切れるというなんとも器の小さいことでプンスカしておりました。まだまだ修行中じゃない?
【第617回】楽しさを見出してやる
スピリチュアル的な話になってしまうのですが、わたし個人としては「気持ち」や「想い」というのがとてつもないパワーを持っていると思っています。例えば弊社ではクライアント様のHPの運営やSNSの画像作成等もお手伝いさせていただいているのですが、例えばSNSの投稿画像を作成する際でも「楽しみながら作成しているとき」と「業務的に作っているとき」では、結果が明らかに違ってきます。こちらが制作時からワクワクしながら楽しみながら着手したものはとても高い確率で反響がでます。逆に時間に追われたり、特にわたしの場合は「この画像を使って作ってほしい」や「このコメントは絶対入れてほしい」という要望に対して業務として携わった場合は必ずと言っていいほど成果が出ません。先日もとある住宅会社のクライアント様先で、既存の事業で行き詰まっていらっしゃったので新しい商品、新しいブランドを立ち上げて世に出した結果、早速ギャンギャンに成果が出ているのです。確かにデザインやコンセプトは従来よりも明確にしたのですが、それ以上に気を付けたのは「ワクワク感」や「愛情」です。このプロジェクトに携わる者がわたし含め心から商品を愛している、コンセプトに自信を持っている、自分たちの持つ知識や技術をつかって世の中に貢献したいと思っている、「売れそう」よりも「楽しそう」を重視することによって面白いほど成果が出ている過程を見て、改めて「自分自身が楽しんでやる」ということが何より大切なのかなと実感しました。人生は有限。限りある時間で楽しいことしかしている時間はありません。「楽(らく)」をするのではありません。「楽しさを見出してやる」ということが大切なのだと思います。あなたは今の仕事に楽しさを見出せてたずさわれていますか?
【第615回】2025年人類滅亡説
父がUFOやら古代ミステリーやらが好きだった影響を受けて、私もゴリゴリの都市伝説好きなのですが、そんな私にYouTubeのAIがおすすめしてくるのは「都市伝説」「破壊的ROCK」のみという何とも偏った動画ばかりなのですが、そんな都市伝説のひとつで「2025年人類滅亡説」があります。「人類の3分の2が滅亡する」という説もあります。おぃおぃ、人類滅亡説どれだけ出てくんねんと思うのですが、私はあながちこの「2025年人類滅亡説」を若干信じている気がありまして、それは生物としての死というよりも「自分で考える能力を失うことによる人間としての死」と勝手に思っています。近年AIの成長は著しいものがあります。チャットGPTはもちろんですが、先程のYouTubeや、楽天やAmazonといったネットショッピングですらAIがその人の趣味・趣向・傾向を基にどんどんドンピシャの提案をしてきます。本人の気付いていない潜在的な欲望を刺激してくるので、自分で考えて、探して、選択するというプロセスから「知らず知らずのうちに選択させられている」という状況に変わっています。2025年、そうしたAIの成長によって「自分で考える能力を無くす人」が大量繁殖するのでしょうね。人間関係の悩み、人生の数多くの選択を全てスマホで調べて決めていく。一見自分で決めているように見えて、実は誘導されている。結果自分で考えて「想像するの能力」「生み出す能力」が死んでしまう。人類の3分の2がそうなって、最新機器等を持っていない発展途上国に住む3分の1の人類が生き残る。こんな未来が現実になるかもしれません。信じるか信じないかはあなた次第じゃない?
【第613回】アドバイスをする側の注意点
仕事柄アドバイスを求められることが他の人に比べると多いのですが、その際に注意していることがあります。それは「基本求めらたアドバイスしかしない」ということです。どうしてかというと、通常アドバイスをする側とされる側だと、どうしてもアドバイスをする側が「上からの立場」になってしまうもの。年寄りの「求められてもいないのにアドバイスしてくる」というのは、相手より優位に立ちたい、自分の力を誇示したいという潜在的な意識の表れです。これほど迷惑なものはありません。また、アドバイスを求められた側は「相手から必要とされている」という気持ちになり安心するもの。もしあなたの周りに「自称相談役」と言って色んな人の悩みを根ほり葉ほり聞いて勝手にアドバイスしてくる人がいたら、実はその人が自分自身の自己顕示欲や承認欲求を満たすための動きなのかもしれません。アドバイスを受ける側も「聞く姿勢」に注意しないといけませんが、それ以上にアドバイスを与える側は「上からではないか」「押しつけではないか」「誘導していないか」を本当に注意しないと、相手に失礼ですし、相手の人生に悪い影響を与えてしまう可能性もありますので細心の注意を払っていかなくてはいけません。お盆休みに帰省したり、仕事とは違う人と携わる場面も多いかと思います。もし周りに求めていないにも関わらず色々行ってくるアドバイスおじさん、アドバイスおばさんがいたら、時には真剣に相手をしなくてもいいんじゃない?