BENchmarkブログ
【第984回】下手に出るほど価値を下げる
お盆休みが空けて1週間みなさんお疲れ様でした。休みボケは解消されていますか?休みが長くなればなるだけ働きはじめはキツいですね。営業をしている中で「お客様至上主義」でお客様の言うことには「NO」はNGで基本顧客の言うことを言われた通りすることが顧客に選ばれることだと本気で思っている経営者や営業マンが結構な数いるのですが、わたしはその考えがNoです。相手に尽くすということは、時には相手に対して指摘をすることも必要ですし、場合によっては相手の要望にNoを突き付けるのも必要なことです。だってビジネスは「信頼関係」がある上で成り立つからこそ相手との関係性は「対等」なのですから。信頼関係を築くためには相手と苦楽を共にする必要があります。相手を「楽」というより「気持ちよくなってもらうばかり」が良い関係を築くことではありません。相手に意見を言わない「YESマン営業マン」になればなるほど、相手と別れた瞬間にすぐ相手の悪口を言うものです。そりゃぁ超絶ダセィというものです。文句があるのであれば直接相手に言う、ビビって言えないのであればそもそも影でも言わない、ただそれは一方的に我慢しろというのではなく相手との付き合い方を変えるということです。わたしはわたしを思ってアドバイスや指摘をしてくださる人のことを心から信頼し尊敬し感謝しています。ただ、信頼関係もなくこちらのことを何も知らない癖に一方的にアドバイスしてくる人は笑顔で「人のことよりご自分のことを優先なさってください」と京都人ばりに嫌味をお伝えしバイバイです。経営者、営業マンは「0」から顧客を作り出す「権利」があります。その権利があることをしっかり理解して会社や自分にとって有益な人とだけんビジネスをしていく。これこそがまっとうな商売なんじゃない?
【第983回】だいたい自爆
長年好感度ランキング上位だったあのアイドルも、永い歴史を繋いできた名門の歌舞伎役者も、普通の人が3回生まれ変わっても手に入れることができないほどの資産を得た事業家も、世の「成功者」と言われる人たちでも一瞬にしてその地位や財産を失うだけではなく、ときにはマイナスになり最悪命まで落とすケースとしてはだいたいが「自爆」です。一言で言えば「調子に乗り過ぎた」の一言に尽きます。わたしが起業したてのときに、お世話になっていた大好きな方からこんな言葉を与えていただきました。「神様はちゃんと見てる、神様が見ていなくても自分自身がちゃんと見てる。だからこそちゃんと真面目に頑張っていたらきっと良い方向に進んでいける。」この言葉が結構胸に刺さりまして、今でも自分を律するための楔になってくれています。そもそも「ベンチマーク」という屋号自体がわたしにとっては「目標」と「戒め」なのです。にも関わらず、自分自身でも最近「あれ、ちょっと調子こいちゃってる?」や「おや、なんか余裕ぶっこいてない?」と思うことが多々あり、改めて初心に戻って自分はまだまだ「ビギナー」であること「チャレンジャー」であることを肝に銘じないといけないなと思う今日この頃です。お盆に帰ってきてくれたご先祖様や前職お世話になった社長、大好きだったあの人に「頑張ってるね」と言ってもらえるよう襟を正して精進して参ります。
【第982回】自分に一番影響を与えるのは?
我々はたくさんの情報を得て選択を選んでいきます。ポジティブな情報だけを得るとポジティブな思考になりやすいし、逆にネガティブな情報に触れすぎると自分自身もネガティブな状態に陥ってしまいます。そんな中、自分に一番影響を与えるものは「自分の声」です。自分自身が発した声を一番近くで一番早く耳にするのは「自分の耳」なのです。だからこそ「発する言葉」には十分気を付けないといけません。愚痴や悪口、ネガティブなことばかり言っていると、益々自分の脳を自分で悪い方向に洗脳してしまいます。ではどうするか?ちょっと踏ん張ってポジティブな言葉をチョイスしていくのです。「暑い~、最悪~」を「くぅ~、こりゃあ帰ってからのビールが旨くなるぜぃ!」にしてみる、「仕事がなくなった、もうおしまいだぁ」を「よっしゃ、よっしゃ、これは新たな素敵な出会いがくる前触れですな」としてみる、「あいつほんと腹立つな、ムキー!」を「いやぁ、自分のが人間出来ててすんません!あざす!!」など、これは訓練で身に付けていくものです。長所と短所は紙一重のように、実はネガティブをポジティブに変換するのもそこまで難しくはありません。あなたは自分の耳にどんな言葉を聞かせてあげますか?
【第981回】お盆休み
今年はカレンダーの兼ね合いから8月9日~17日までの9日間をお盆休みとした企業も多かったかと思います。わたしも思いっきりあやかって9日間休みました。ただ、いかんせん普段休まないからこそ休みのときは自分でも引くほどダラダラゴロゴロしているのですが、このお盆中も隙あらば「ポケ~」っとした時間を確保するのに命がけでした。「ダラダラするのに全力を尽くす」という矛盾あるこの言葉が大好きです。朝は癖で5時半くらいに起きるのですが、そこから一人ソファーでダラダラ、妻が寝室から出てきてダラダラ、朝ごはんを食べていると息子たちも起きてきて、朝ごはんを食べたら眠くなってきたので午前中にも関わらずお昼寝をぶっこみ、何もしていないにも関わらず一丁前にお腹を空かせお昼を食べてYouTubeやAmazonプライムで映画やら好きなアーティストのLiveを見て、日が陰ってくると外に出て、と言っても外出ではなくウッドデッキに腰掛けて、バケツに水を張り足を突っ込んでこどもの夏休みの読書感想文で見る予定のかれこれ人生で7回目くらい読むサン=テグジュペリの「星の王子さま」を読み毎度のことながら「あ~ぁ、自分も大人になっちゃった…」と若干センチメンタルな気持ちになり、涼しいと思いきやTシャツの中は汗ダクでお風呂に入って、大して動いていないのでお腹も減っていないにも関わらず惰性で晩御飯を食べ、いつものことながら夜9時過ぎには寝て、翌朝体重計に乗ってしっかり凹んで。書いていて改めて思ったのですがわたしの休日は「ただ生きているだけ」そのものなのですが、これがとても幸せですね。あと何回これを味わえるのだろう?子供たちもいずれ巣立つ中で、あとどれだけこの環境を味わえるのだろう?わたしが先に逝くのか、妻が先なのか分からないものの、この100%安心した環境でダラダラ出来るのはあと何回なのだろう?そう考えると一瞬一瞬が愛おしく感じるのはわたしだけでしょうか?
【第980回】仕事は「戦い」とはいうものの…
戦後80年。戦争に限らず、いつの時代もどこの場所でも「争い」は絶え間なく行われているのですが、人によって仕事を「戦い」と表現する方もいらっしゃいます。相手は「敵」と見なし、いかに「敵に勝つか」に心血を注ぐ方がいらっしゃるのですが、確かに仕事はある意味「戦い」ではあるのですがそれは戦争のような「殺し合いの戦い」ではなく、あくまで「ゲーム(試合)の戦い」です。商売は「相手があってこそのもの」だからこそ相手を殺してしまっては商売にならないのです。今を生きる我々の戦いはあくまで「試合」です。にも関わらず「何がなんでも相手を潰してやる!」や「相手を徹底的に痛めつけてやる!」という考えではどうなるか?「即退場」です。相手と競合するのではなく協力して共存してより良くしていく。それがこの時代を生きるわたしたちの「生きるための戦い方」なんじゃない?