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【第626回】金銭感覚
金銭感覚は麻薬と一緒で、一度上げてしまった金銭感覚はなかなか下げることが出来ません。経営者は使ったお金を「経費」として計上する機会が多いため、どうしても公私混同してしまい金銭感覚が麻痺する人も少なくありません。わたしが知っている人でも、銀行の借金の返済に苦しみ、取引業者への支払いも遅延していて、「お金がない、お金がない」と言っているにも関わらず、家族でちょっと良いお寿司屋さんで食事をしているという、まともな人からすれば「異常な行動」にも関わらず本人がそれを自覚していないという人がいらっしゃいました。当然取引業者はそんな姿を見て「応援したい!」と思えるはずもなく、応援どころか「あの人とは関わっちゃダメ」という悪い口コミを広げ、結果どんどん追い詰められた状況にも関わらず、一度上げてしまった金銭感覚を下げることが出来ない姿は滑稽を通り越して可哀そうとさえ思ってしまいます。人は大なり小なり嫉妬心があるもの。お金を手にした時こそ周りは良く見ているもので「あの人お金が入った途端にあんな使い方するんだ」という噂は自身が思っているより早く周りに広がります。とことん突き抜けてしまえばいいのですが、大抵の人が仮に一瞬は突き抜けることができても、それを継続していくことは困難です。それは歴史が証明しています。良いか悪いかは別として、わたしはそもそもサラリーマン時代でも有難いことに日本人の平均年収の倍以上お給料をいただいていたのですが、起業してからその所得も3倍~4倍となっているにも関わらず、今のほうが起業前よりも随分ケチになっています。出来る限り高速は使わず一般道で移動し、身に付けるものも昔からあるものをずっと使い続けています。車も国産車で、時計もチープカシオ(¥1,000)です。経営者の中では断トツにお金を使っていませんし、現に顧問税理士や保険屋さん、銀行員からは「やばいくらい使いませんね」と言われますが、それでも経営者の中では断トツに幸せに生きられていると思っています。お金に困らず、人間関係も最高、あえて言うなら時間をどう作っていくかですが、この1ヶ月毎日30~1時間はランニングに時間を費やせています。家族仲も良好。これ以上の幸せがあるでしょうか?お金を使うことによって幸せを感じるのは一過性のもの。にも関わらず中毒性があって「もっと、もっと」となってしまうのですが、お釈迦様ですら「足るを知る」ことの重要性を説いているのだからこそ、「お金を使わなくても十分に幸せ」と思える思想こそが、生きていく上で最強のスキルなんじゃない?