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【第451回】DEATHを読んで
我が家は二週に一回ペースで地域の図書館に行きます。そこで最近借りた本はイェール大学のクラーク哲学教授であるシェリー・ケーガン氏の書籍である「DEATH」。以前から書店で平積みにされており、タイトルのインパクトから一度読んで見たいなぁと思っていたのですが、運よく借りることが出来ました。この本は「死」をいろんな角度から分析しているのですが、その着目が面白くて一気に読んだのですが、そこで印象に残ったのは要約すると「人はいったいどこまでが自分なのか?身体、脳ではなく信念、欲望、記憶こそが自身を証明できるもの…」というくだりが印象に残りました。私の腕は私から切り離されたら人格はなくなる、では体はどうか?頭と身体だと体積は明らかに体の方が大きいにも関わらず、人は頭部を「私」として認識するのではないか?では目玉が取れたら?鼻が人参になったら?耳が豚の耳になったら?どこまでが私なのか?この考えは仏教にも通じるものがあります。「私というものは存在しない、この世の全てが私である」みたいな考え方です。では自分の信念、欲望は本当に自分のものなのか?誰かの信念や欲望を「お手本」として投影しているだけではないのか?記憶はどうなのか?本当に私自身の記憶なのか、私自身が「造り上げた記憶」なのか?哲学は刺激になりますね。新しい価値観はそれを引き金に違うチャンネルを見せてくれますね。最近本読んでる?